陣屋事件

今から半世紀ほど前の話。
広島のある少年は『名人に香車を引いて勝つ』という言葉を
母の定規の裏に書き残し、プロ棋士を目指して家出をします。
当時の名人戦は指し込み制七番勝負で、三勝差開いたら、
勝っている方は香車を引くハンデ戦になるルールだったのです
(今は全て平手で先に四勝した時点で決着となり五勝負目は行いません)。
少年の名は升田幸三と言います。

昭和27年。
プロとなった升田は当時『不敗の人』と言われた絶対的王者、
木村善雄名人と王将戦で対戦します。
第一局、第二局に勝利した升田は、
次の第三局に勝てば『名人に香車を引いて勝つ』という夢が実現します。
そして迎えた第三局、終盤で升田の優勢はゆるぎないものでした。
名人に残された時間は少なく、妙手の浮かばない木村名人の手は動きません。
記録係は時間を読み続け、ついには『指して下さい』と催促しました。
本当なら、この時点で負けですが、升田はその申し立てをしませんでした。
結果、升田は逆転負けを喫してしまいます。

そして運命の第四局。
場所は神奈川県秦野市の陣屋旅館。
旅館に着いた升田は『ベル』を鳴らしたそうです。
しかし、だれも出て来ません。
自分の目の前を何人もの女中さん慌しく通り過ぎるだけ。
ついに升田は激昂し、旅館を去り第四局を放棄してしまいます。
これが将棋界を大きく揺るがす大事件、陣屋事件です。

事件の真相は今もって大きな謎です。
なぜなら陣屋旅館には『ベル』がないのですから。
升田はその前日まで名人に香車を引かせるという屈辱を与えて良いものかと、
思い悩んだと言います。
この王将戦を指し込み制にする議論があった時も、
升田は名人の権威を重んじ反対の立場でした
(運命のいたずらか推進派のリーダーは対戦相手の木村名人でした)。
第三局の時間切れも指摘せず、負けています。

おそらく升田は名人に香車を引かせる屈辱を与えることを拒みたかったのです。
でも、ルールである以上従わなければいけません。
そこで思い悩んだ据えに思いついたのが、旅館側の非による対戦拒否です。
この騒動の顛末が関係者全員お咎めなしだったのも、
そんな升田の胸中を皆が分かっていたからに違いありません。
その後、升田は騒動の舞台となった陣屋旅館を訪れ、
色紙に俳句だけを書き残し、何も言わずに立ち去っています。

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『強がりが雪に転んで廻り見る』

私はこんな風に解釈します。
『名人に香車を引いて勝つ』などと強がってみたものの、
いざその時になれば大きなトラブルを引き起こし、
その時になって初めて周りの人の大切さを知った。

7年前、ラタン椅子の補修で初めてこの場所を訪れてから
事件の舞台となった陣屋旅館様には本当にお世話になっています。
将棋好き(と言うより棋士という人たちが好き)の私にとって、
この場所を担当させて頂くことには特別な意味があります。
次回、自分の仕事も織り交ぜながら陣屋様で行われた王将戦の観戦記です。

*升田幸三についてはウイキペディアでどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%87%E7%94%B0%E5%B9%B8%E4%B8%89
『たどりきて未だ山麓』という名言の他に、
いかにも氏らしい発言やエピソードがいっぱいで、
将棋を知らない人も楽しめますよ。

窓際のサイトー について

厚木市のオーダーカーテン専門店+PLAN(プラスプラン)オーナーの斉藤です。単なる生地の組み合わせではない、専門店ならではのプランニングをご提供します。ブログでは、そんな私とスタッフの日々の仕事ぶりを綴っています。
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