数年前に新築のカーテンをやらせて頂いたKさんが、
『子供の秋休みに旅行に行ったから』と、わざわざお土産を持ってご来店されました。
ベージュ色のビニールの袋の中を覗くと、
パッケージに写っていたのは、夕暮れに浮かび上がるシドニーのオペラハウス。
久しぶりに見る風景に、何とも言えない懐かしさが込み上げてきました。
今から17年前、オーストラリアに1年ほど滞在していました。
目的は『オーストラリアをバイクで1周』。
学生時代に日本1周、真冬の北海道キャンプツーリングなんてバカなことをやっていた私は、
『次は海外』が当たり前の流れでした。
就職活動に勤しむ友人を横目に早朝から夕方までは運送会社、
夕方から深夜まではレストランで働く日々。
何とか数十万円の貯金を作りましたが、勿論まだ足りません。
そこで、能天気な性格を発揮して『まず行っちゃおう』ということになったのです。
渡豪して8ヶ月間、シドニーの日本レストランでアルバイトをして資金を貯め、
バイクも購入していざ出発!とそこまでは良かったのですが、
そこからがまさに『嵐の数週間』でした。
出発したのは夏。
しかも熱波の到来で毎日のように死者が出るという異常気象です。
気温50度を超える内陸部を一日500キロ近く走るのですから、一日が終わると疲労困ぱいです。
でも、それだけでは終わりませんでした。
さらに追い討ちをかける自然の猛威が…
出発から2週間ほどたったある日。
あいかわらず『地平線以外何もなし』という風景を見ながら走っていると、
遥か前方が真っ暗になっており、無数の雷が落ちているのが見えるのです。
逃げ場はありませんし、最後に通過した街までは100キロ以上。
仕方なくその中に突っ込むと、見渡す限りの大平原は暗黒の世界になり、
体験したことのないような規模の暴風雨と、すぐそばを落ちる無数の雷!
バイクごと吹き飛ばされそうになるのを必死にこらえるのが精一杯で、
『死ぬかも?』という言葉が本当に頭をよぎりました。
やっとたどり着いた街でガソリンスタンドに逃げ込むと、
『お前あの中をバイクで来たのか?』と店員が驚いていました。
そこでタバコとライターを買いましたが、恐怖で手が震えて火が点けられません。
それだけ恐ろしい嵐だったのです。
でも、それだけでは終わりませんでした。
次の日も、その次の日も、その次の日も
街を出て100キロ以上過ぎた地平線のど真ん中で、またその大嵐に遭遇。
ついには恐怖心で、朝バイクにまたがるのに1時間もかかるようになり、
本当はエンジンをいたわってゆっくり走らなければならないのに、
早く次の街に着きたくて、ついついアクセルは全開に。
そして数日後、ついに壊れてしまいました。
50度以上の暑さの中をずっと全開で走ってしまった私のミスでした。
『終わった』という挫折感と『もうあの恐怖から解放される』安堵が入り混じり、
不思議な想いでした。
でも、何となく全てやり切ったみたいな達成感があって、
それが自然に社会人になれた理由かもしれません。
もし成功していたら、今頃アフリカにいるかも(笑)